親が天国に旅立ち 兄妹の在りかたの難しさ

2019年10月22日(水)は天皇即位の日

88歳の母がベットの上でひっそりと息をひきとりました

 

どうかこの記事は

私の母の思い出を書き留めるための記事として書かせて下さい

 

この記事を書いている

2019年10月27日(日)の1週間前の20日の日曜日は

2か月ぶりに母を訪ね、元気な姿をみたばかりだった

その2日後に息をひきとるとは

あまりにも急すぎだよ

 

3年前父が85歳で他界し母ひとりになっても

長男夫婦が実家に来ることを好まなかった

気の強い兄嫁が母の目前で兄を叱咤する事が耐え難いようだ

私は長男にそのことを告げ

足の不自由な母は独りで暮らすことを選んだ

 

週3回はデイサービスに通い

食事はデイサービスと長男が作ってくれた

 

近くに住む60歳の独身の次男も時々母の様子をみにきてくれていた

でも

3歳違いの長男と次男は仲が良いほうではなく

主に 母の病院の通院は長男がやっていた

長男は次男を頼りたくなかったのだろう

 

夜間の警備員の仕事をしていた長男は

昼間の母の病院の世話はきつかったに違いない

半年ぐらいたつと

だんだん

私に愚痴や暴言をはくようになった

母を私のところでみれないか

と言ってきた

時には

長男がお酒を飲み

母と口論中に私に電話をかけ

私のところに行くようせかす時もあった

 

そんな時

母が喉の調子が悪く食事が喉を通らなくなり

デイサービスの担当の方から

体重が40キロを切っているからどうにかしてくれ

と私に連絡があった

早速かかりつけ医院で専門医へ紹介状を書いてもらった

その時

長男は 「専門医へ連れていくのならお前が連れていけ」

と私に言った

私はもう長男に母は預けられない  と思った

このままでは

母も長男も疲弊してしまう  と思った

 

そのことを

次男に話したら

次男も長男の母に対する態度を危惧していたようで

長男がいいのであれば 自分が母を預かる  と言った

その言葉を聞いたときあまりの安堵から車中で号泣したのを覚えている

 

でも

長男は 次男が母を預かることを猛烈に反対した

長男のプライドからだろうか

であれば 私は

母の退院後は私が母をみよう  と決め

長男に

「私の家は母をひきとるには狭すぎる(足の悪い母の居住スペースが確保できない)

から近くの有料老人ホームを契約し私が母をみるから」

というと 長男は 承諾した

さっそく老人ホームと契約を済ませ

あとは母の退院を待つだけとなった

お世話になったデイサービスにも

私の近くの老人ホームに入居移転をすることを説明したが

担当の方は

今まで住み慣れた地元での生活が

まったく知らない町の老人ホームで過ごすことを心配して

考え直すように言われたが

私には 今までの生活の繰り返しが悪循環にしかおもえなかった

 

とりあえず

お盆後に老人ホームに入居する予定でそれまでは

実家で過ごす予定で退院し

実家に母を連れて帰った

長男が母に

やっぱり住み慣れた地元がいいんじゃないのか  と

問いただしている

 

母が入院している間で長男も思うことがあったのだろうか

 

母に問いただしている長男の口調は

以前とは違い 穏やかだった

 

私も母が地元を望むのなら 無理はいわない

 

手術後は母は食事も普通にとることができ

長男も安心しているようだった

 

あれから約1年が過ぎた頃

長男の息子(私からしたら甥)が東京から家族で引き揚げてきた

娘が小学校に入学する前に引き上げてきたかったそうだ

これで長男の家族が揃い

ゴールデンウイークやお盆に実家に行くと

長男家族が実家で集っている

 

今までは

いつでも実家に行くと 母独り

何の気兼ねもなく私の実家でもあった

でも

長男家族が集う傍ら

長男家族と母が楽しそうに語らう場面が

あるわけでもない

もはや

母の家でもなく わたしの実家でもない寂しさを感じ

ここ一年

独り 寂しいはずの母に会いに行くことに

足が遠のいてしまっていた

 

なかなか足が向かない私に

本土の大学に通う長女が

「おばちゃんと電話したいから早く実家に行ってよ」

と言うので

1週間前の日曜日

2か月振りに母に会いに行きました

 

母が亡くなる2日前です

 

その時

久しぶりに会った私に

母が

昨日長男が 酒をのみ 馬頭されたことを告げた

 

長男に聞くと

母は2週間前 胃の調子が悪く2週間ほど入院していたらしい

 

母への暴言は

病院へ連れて行くのが負担になっていたのだろう

でも退院後は食欲もある と言っていた

 

長女と電話で嬉しそうに話す母

「お正月帰って来るから会えるね」と言って長女と電話をきった

 

私が

「もう そろそろ帰るね」と言うと

いつもなら

「遠いいから 早く帰って旦那の夕飯作りなさい」

と言う母だが

この日は めずらしく

「帰るのかい」と

とても寂しそうにしていた

私もその日は

後ろ髪を引かれる思いで帰ったのを覚えている

 

 

2日後の10月22日(火)

長男が警備の仕事から帰宅し朝7時頃

母を起こしに行くと母はベットの上で息をひきとっていたらしい

長男は急いで救急車を呼び

息子を呼び 救急隊員が来るまで2人で心臓マッサージをしてくれたそうだ

私が駆け付けた時は警察で遺体検証中だった

 

母が亡くなる2日前

娘にせかされ会いに行ったのが最後になってしまった

そして

次男は母が亡くなる前日

母がデイサービスに入っていく姿を偶然 車で通りかかり

母が後ろにいる職員に笑顔で振り向いたとき次男が最後にみた母の姿だった

 

亡くなる前日のデイサービスでも元気で食事もとっていたらしい

 

もしかして

母は自分でもう

不自由な体で子供に負担をかけることが苦しく

生きるのを止めたのかもしれない

 

そして

父が迎えにきたのかもしれない

私にはそう思えてなりません

 

かあちゃん

かあちゃんがいないこの宇宙は

あまりにも寂しい

旦那がいても

子供がいても

かあちゃんがいないのは寂しすぎる

後悔だらけだよ

私よりかあちゃんが

私に会いたかったはずなのに

本当にごめんなさい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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