我が家に春が来た!確定も来た!

今日の沖縄は12月らしい冷たい風を感じられる1日でした。

このところ沖縄もすっかり冬らしくなり我が家のリビングにはコタツが登場!

そんな中、我が家にはいち早く春が来た。

本土の大学の 推薦入試を受験した次女が 無事 合格した。

10日前、受験を終えた娘は 「手ごたえ無かった」と とても不安そうだった。

面接では練習した答えの質問を受けることはなかったらしく 

もう 「質問されたことは全部アドリブで答えた」と言う。

でも 「どうしてもこの大学で学びたい」事だけは 悔いが無いように伝えたようだ。

娘が合格した大学で学びたいことは

〔シャッター街の地域再生〕 らしい。

私の実家のある名護市には 今もシャッター街がある。

先月父の3回忌で名護に行った際、法事を終えた娘は、シャッター街に、街中の

商店や人々に話を聞きに行ってくる と一人で出かけて行った。

無鉄砲な娘にはいつも心配させられていた。

 

名護のシャッター街は私が10代の頃まではとても賑わい、名護の中心地でもあった。

沖縄にも、本土にもシャッター街はあるが

どこも大きな理由は郊外への、大型店舗進出ではないだろうか。

かなり古い話で恐縮ですが

45年前、沖縄が本土復帰をし、その数年後、7・30(ナナサンマル) 車は右側通行から左側通行に変更になった。

復帰の年、私は10歳、名護のシャッター街はとても賑わい 活気にあふれていた。

翌年には沖縄海洋博覧会が行われ、同時に新しく道路が開設された。

私が20代の頃のシャッター街はまだ、街の姿は温存していた。

そして、その頃から、新しく開設された道路の周辺には、大型店舗が建ち並んできた。

そして私が30代の頃からは、街は逆転してしまっていた。

移り行く時代の変化と共に発展をしていく故里を、寂しさよりも、誇らしく感じた 私、

でも、大型店舗世代の中で育った娘は

現在のシャッター街 しかしらない

シャッター街に寄せる 寂しさ、とかではなく、再生 という 希望 を純粋にもっている。だけのようだ。

これからは、大きいものだけが勝利するのではなく、個々の個性が発揮できる時代へと変化して行く。

シャッター街の個々の個性を十分に発揮できると娘は感じたらしい。

いつまでも 手のかかる子供と思っていたら いつの間にか自分の考えを持てるようになっている。

大学では大いに学び、大いに遊んでほしい。

おっと!

我が家はこれでとうとう、娘二人の大学費用は、

 

奨学金(生活費)

       100,000×12ヶ月 = 1,200,000

  1,200,000×4年  =  4,800,000

      4,800,000×2名  = 9,600,000

教育ローン(学費)

  535,800×4年     =2,143,200

      2,143,200×2名    =4,286,400

      生活費、学費 2名分 ¥13,886,400

ナント、

合計 ¥13,886,400 (利息は含まれておりません)

確定!

 

一年前の我が家でしたら この費用にタダタダうろたえるだけでしかなかった

でも今は 2人でも4人でも いえ 6人大学生がいても 大丈夫!

その 虎の巻は 後ほど

 

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